長野県神道青年会

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平成20年度活動報告

長野県護国神社納涼盆踊り

 (平成20年8月11日)

 

今年も美須々の杜で納涼盆踊りを開催しました。平成15年から始まったこの活動も本年で5回目を数えます。今年の担当は渉外委員会です。

 

本題の前に少し説明します。

 

【長野県護國神社とは?】

長野県護國神社は、明治13年に長野市に創建された信濃招魂社を昭和13年11月現在の鎮座地であります松本市へ遷座し「長野縣招魂社」(官祭招魂社)として奉戴し、昭和14年3月には「長野縣護國神社」と改称、内務省管轄の指定指定護國神社として御英霊、國事殉難者等の神霊64,000柱をお祀りしています。

 

終戦を迎え昭和22年に神社名を一時「美須々宮」と改称しました。(これは占領軍による神社廃止などの措置を回避する為です)しかし、講和が成立し占領が終わり昭和29年に再び元の神社名であります「長野縣護國神社」に復称されました。

 

終戦より63年を迎えますが多くのご遺族が現在もお参りされ、神社では欠かす事なく鎮座する御霊(みたま)をお慰め顕彰する命日祭が日々粛々と執行されています。

 

【長野県の郷土部隊について】

長野県で編成された陸軍部隊は、歩兵第50連隊、歩兵第150連隊、歩兵第439連隊などです。これらの部隊は主に長野県出身者で構成され、長野縣護國神社にも多くの方が御英霊として奉祀されております。

 

歩兵第50連隊は、明治37年(1904)12月に第13師団(新潟県高田)に所属する連隊として編成され(この頃は仙台、東京、新潟より徴募)樺太、台湾、朝鮮へ派遣されて任務終了、内地帰国後は長野県松本に連隊区が創設され、衛戍地を松本に移動し松本歩兵第50連隊となりました。この時の徴兵区は松本市、南佐久、北佐久、小県、諏訪、東筑摩、南安曇、北安曇、更級、埴科の9郡とされました。

 

大正14年に所属する第13師団が軍縮により廃止され第14師団(宇都宮)に編入、昭和16年には第29師団(中国遼陽)に編入されました。その後の昭和18年には部隊名称は戦時編成名の満州第318部隊(特設連隊)となり、又管掌の司令部は岐阜連隊区に変わり、昭和18年1月以降の入隊者は愛知、岐阜県出身者になり、同年12月に長野県徴集の兵が満期除隊となり、これ以後部隊内に長野県民は居なくなります。

 

 

昭和19年には、第29師団所属の雷3215部隊(歩兵第50連隊の戦時通称号)として北マリアナ諸島テニアン島の防衛に着任し連合軍と戦い玉砕、勇敢なる最後を遂げました。

 

《松本歩兵50連隊隊歌》

 

一、国の護りと旭日旗

   深志城下の朝風に

   捧げてここに三十年

   我等の連隊第五十

 

二、南済南台湾に

   北シベリヤ満州に

   硝煙 弾雨肉とべど

   信州健児の名は残る

 

三、朝アルプス白雪に

   夕焼岳燃ゆる炎に

   降魔の剣鎚え磨く

   信州健児意気昂し

 

歩兵第150連隊は、歩兵第50連隊の外地出征に伴い新編成された部隊で、昭和18年以降長野県民が徴集され南太平洋トラック島防衛の任務にあたり終戦を迎えます。

 

歩兵第439連隊は、歩兵第150連隊の補充部隊として編成され、第439連隊と改編し千葉県で本土防衛の任務にあたり終戦を迎えました。

 

これらの部隊の主な構成員であった我県の方々の内約55,000名が戦没され、この他にも県内から満州へ約30,000名の方が開拓の為に渡り半数の16,000名が戦禍に巻き込まれ犠牲になっています。

 

【納涼盆踊り報告】

さて、納涼盆踊り当日は会員が午前9時に長野縣護國神社へ集合。諏訪大社氏子の笠原工務所の社長を始め社員(ご子息)方にお手伝いを頂き櫓の組み立て、音響の設置などを手際よく行い午前中には準備が完了しました。

 

午前11時からは本殿にて8月11日から 8月20日までの命日を迎える御霊の命日祭 が執行され、当会会長の代理として渉外委員長が参列しました。この命日祭は毎月3回、 1日、11日、21日に執行されるもので、 この様なお祭りが終戦より63年欠かさず行 われているだけでも大変尊い事であります。

 

この時も遺族の方13名が参列されていました。

祭詞では該当の御霊のお名前が奏上されますがその数の多さに驚きました。

 

それはそうでしょう。全部で64,000柱がお祀りされているのですから。。。。

 

昼食を済ませ午後は境内と長野縣護國神社 に隣接する松本市「美須々公園」内にある 納骨堂と公園内を清掃奉仕しました。

 

この納骨堂は、戦前陸軍管轄の松本市蟻ヶ 崎にあった陸軍墓地(松本歩兵第50連隊 関係)が終戦により陸軍が解体され、松本 市に管轄が移管しこれを現在の場所に移し たものです。

 

現在は長野縣護國神社が松本市より管理を 委託され御祭事、清掃管理をしています。

 

納骨堂の中には多くの下士官、兵の御名前が記された骨壷が「あいうえお」順に棚に祀られています。

 

何か人寂しいところにひっそりとあるこの施設に、国の礎になられた方々に対しこれでよいのであらうか?との思いに駆られました。

 

夕刻になるといよいよ盆踊りの始まりです。今年は事前に近隣、松本駅前などに会員がポスターを作り配布しました。その効果はどうかわかりませんが露店も並び提灯の点る境内にはポツリポツリと人が集まり出しました。

 

慣れた踊りを披露してくださる揃いのTシャツを着たご婦人方は今年も来て下さいました。

 

みたま祭りの提灯が点り、すっかり日が暮れた頃にはいつの間にか踊りの輪かでき、東京音頭、炭坑節、きよしのズンドコ節なと賑やかに盆踊りが行われました。恒例の松本「松深会」皆様によるの御神輿も担がれ、参加した子供たちが子供神輿を担ぎ本殿前まで進みました。

 

年月を重ねる事5年、靖国神社の「みたま祭」のような賑わいがこの長野縣護國神社にも見られますよう今後もさまざまに工夫してがんばります。

 

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